いざという時の為に

南房総市白浜町で、18歳まで暮らし、高校卒業後は東京の八王子で1年間暮らし、そのあとは同じく東京の杉並区の西荻窪で22歳まで暮らしました。

就職後は横浜市青葉区に引っ越し、今はまた白浜町に戻り、あっという間に6年くらい経ってしまいました。

今まで4回引っ越していますが、ちょうど西荻窪に住んでいたころ、世間では「ゲリラ豪雨」という言葉が夏の暑い日のニュースでよく話題に上がっていたのを覚えています。

その時に、専門学校の先生に、「窪」や「谷」、「沼」と地名につくところは、もともとは地盤が緩かった可能性があると言われました。確か、地震についての授業だったと思います。
あ!俺の住んでるところ西荻「窪」じゃん!遊びに行くところも荻「窪」、阿佐ヶ「谷」、中「野」・・・逃げ場がないね(笑)なんて話をしていました。

同時に、地震を起こす原因となるプレートの重なりが集中していることろが、南房総市、しかも白浜町の真下という話もその授業中に聞きました。

当時は20歳の若造です。

授業では笑い話でしたが、実際に西荻窪では、大雨が降ると坂道の下側では大きな水たまりができていました。

地震対策その時くらいから「ハザードマップ」という言葉も良く聞くようになった気がします。
社会人になり、南房総に帰ってきて1年目か2年目に東日本大震災が発生しました。
当時は甘く考えていて、本当に何もできませんでした・・・26歳くらいだったと思います。

私は、東日本大震災が発する5年以上前に、学校で危険な地域について教えてもらい、実際に自分の家の近くで地震とは違えど小さな災害を目の当たりにし、ハザードマップの存在を知っていました。

命にかかわるような危険な目にあったわけではないですが、いざという時に「知っている」というのは大きな力になると思います。

家も高耐震で作るのは大事なことですが、大地震にもしっかり耐えてくれる家をつくったら、「いざという時」の為に自分と家族を守るための避難経路、ハザードマップも作っておくとさらに安心ですね。

改めて、自分自身考えさせられました。